大萩の思い出


『思いを伝える』

昭和49年秋、その年の大萩字民運動会は大いに盛り上がった。台風災害の後、集団移住の話が持ち上がり、いよいよ移住する前の年で当地最後の大会とあって、小中学生のみならず、中学生、高校生、村を出て町に働きに行っていた人も帰ってきて皆一堂に会し、実に多くの参加者で賑わった。もちろん、会場は大萩茗荷村のある旧運動場である。それまで並べられていた新天地用の住宅建築用木材をすべて出荷し、がらんとした広場に、テントを張り、前日から準備に勤しんだ。

 その中で特に印象に残ったのは、アベック競争という種目である。あらかじめ、ペアの決められた札を用意し、地面にランダムに置かれたその札を拾った男女が相方を見つけ二人三脚でゴールするというものである。その札に書かれた名前は、「オカル」「カンペイ」「オトク」「ハツベイ」「カンイチ」「オミヤ」「オソメ」「ヒサマツ」等とある。(他にもたくさんあったが、もう思い出せない。)さて、「貫一―お宮。」は、ドリフのコントで見たことあったので知っていたが、他のものはさっぱりわからない。こんなので当日のレースが成立するのかと心配していたが、大萩の若いお母さま方は、実に巧みに相方を見つけゴールされていた。ちなみにその元ネタは、文楽の仮名手本忠臣蔵や曾根崎心中の主人公、あるいは、歌舞伎や芝居の定番カップルの名前だったのである。

 山奥の村で、おそらくはテレビや小説からではない情報が共有されていたということが驚きでもあり、なんとなくほほえましい。旅芝居の一座が巡回してきたのか、誰かが見た芝居を、村の共同作業の中で語り共通体験として取得していたという事であろう。かつての日本の文化の根底には、そういった活字や文字に頼らない情報や技術の伝え方があったように思う。大工や職人の徒弟制度も学校や教室で教科書を使って、伝えるのでなく、一緒に生活する中で感じ取っていくようなやり方だったと思う。

しかしながら、この四〇年で時代はすっかり変わった。情報を伝えるのは、大半がテレビ であり、コミニュケーションを取るのは携帯電話のSNSという手段が中心である。それで足りない空気感を自主的に感じ取れと言っても無理があると思う。先ごろ、職人世界では、映像と、お手本で見習う『モデリング』手法が開発された。昔とは道具も情報も比べ物にならないほど進化している。思いを伝える強い気持ちがあれば、工夫して何とかなるのではないか。と最近思いなおしている。コンピューターのケーブルではないが、受け取る側のコネクターの形状に合わせたやり方がもしかしたら見つかるかもしれないと。

 

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