新しいことを始めよう 茗荷村通信原稿5


「新しいことを始めよう」

 私が小さいころ、大萩村はまだ江戸時代がそのまま続いているような村だった。どの家も鍵というものは一軒たりともかかっていなくて、出入りは自由だった。それでも物がなくなったりすることはほとんどなかった。つまりは村に住む全員が顔見知りで、だれが何を持っているかも知っていたからで人のも借りたりしていれば直ぐに分かったからである。村自体が一つの家族のような状態で、子供は総じて分け隔てなく大事にされていたように思う。電灯はついていたが、風呂や食べ物の煮炊きは、薪を燃料にしており、暖房も家の中に囲炉裏があって火を燃やしていた。村の行事や風習も、その前提の上に成り立っていて、寺や神社、普段の付き合いも極めて自然な営みだったように思う。

 転じて、今の大萩町の生活を見てみると前記のような状況は保々保々残っていない。状況が変わっているのに、風習や行事だけを残そうというのにはとても無理がある。なぜそんな話になったかというと、田舎の風習と付き合い的なことが、若い人が村に住むことの弊害になっているという話をあちこちで聞くからだ。不動産屋の友人の話では、付き合いの少ない新規分譲地でないと極端に土地が売れないらしい。現に大萩町でも空き家が増え、今年は二軒ばかりが解体されると聞いている。今の茗荷村は若い人がどんどん増えて、全体が一つの家族のようになっていると聞いている。若い人がどう考えているのか、一度聞いてみたいものである。

 私が生まれたころ、日本の平均年齢は二〇代後半であった。昨年の平均年齢は四六歳、国全体が二〇歳と年老いているということだ。単純に考えると昔、二〇代で中心になって活躍できたことが、今は四六まで我慢しないといけないような社会になっているということである。その心配に拍車をかけるように、とてもショッキングな話を聞いた。ロボット工学の先生が講演されていて、「人間は最終的に、有機物から無機物に進化し、ロボットになる。」と断言されたのである。最近のAI(人工知能)の進歩は目覚ましいものがあり、多くの仕事はロボットに奪われるらしいが、それどころではない話である。真偽のほどはともかく、世の中が猛スピードで変化しているのは確かなようである。

 工務店の仕事をするようになって、会社のスローガンに日本の伝統スタイルの再構築を掲げてきたが、悠長に見直してる時間はないかもしれない。若くして会社を設立した天才起業家の松田元氏は、前に進むためには、めんどくさいことの九割は捨ててもいいと提言されている。今年は本物の大切なものを見つけて、素早く新しいことを始よう。

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