ドイツ通信64「ワールドカップ」
ドイツのワールドカップ
FIFAワールドカップ南アフリカ大会2010はスペインの初優勝で幕を閉じました。4年に一度のお祭りイベントとして、私は十分に堪能しましたし、ドイツ代表の活躍もあり、街の盛り上がりは相当なものでした。サッカーってドイツ人にとってどういう存在なのだろう?と考えずにはいられません。
W杯期間中、街のショウウィンドウはドイツ色に染まります。スポンサーでも協賛企業でもない普通の個人商店がこぞって“ドイツ色”に飾られます。もちろん関連商品も登場します。また、自転車や自動車、ベランダにはドイツ国旗、ドイツ色のレイがかかるなど、街も道もドイツ一色。
いたるレストランやバーでは大小画面によるパブリックビュ−イングが開かれ、大きな試合の日には試合開始2時間ほど前から席を取っておく必要があるほど。広場にも大画面が用意され、7000人ほどの観客が総立ちで一緒に応援。勝利の後は、道路でお祭り騒ぎ。「W杯は特別だから見る。普段は興味が無いけど・・。」という人の存在があることを考えると、W杯開催・試合に“はしゃぐ”ドイツ人の姿は、「単にサッカーが好き」では片付けられません。恐らく“ドイツ人”という社会的背景を持たないと分からない部分なのでしょう。
さて、日本においては、依然としてドイツサポーターは少数派のようです。ニュースや試合の実況等でも、どちらかというと対戦相手国目線の解説が多かった、と見聞きしました。それだけ前評判は思わしくなく、主力は欠け、スターもいない・・と、注目度は低いチームだったのでしょう。だから(か?)よく目にしたのがこの言葉“ゲルマン魂”。この一語が、ドイツ代表の代名詞。これが自動的にすべてを描写してくれるので、多くを語らずとも済む・・と言わんばかりの便利な便利な“ゲルマン魂”使用。
従来、サッカードイツ代表チームを描写する際によく使われる言葉のようですが、個人的には非常に違和感があります。なぜなら、現在のドイツ代表が多くの異なる文化背景を持った選手で構成されているから。選手23人のうち、実に11人が何らかの異文化(ドイツ以外の)背景を持ちます。名前だけ見ても一目瞭然。明らかに“ゲルマン”でない名前の選手もいますし、容姿を見れば、さらに明らか。
思うに、彼らに“ゲルマン魂”は無いと思うのです。むしろ持つ方が無理ではないでしょうか。彼らの魂・精神は、彼ら独自の文化背景を基盤に成り立っており、それは簡単に別のものに取り替わってしまうものではないと思うからです。
ドイツのW杯における躍進に対し、トマス・メデジエール内相兼スポーツ相が「移民のおかげ」と発言しました。ドイツのサッカーが政治や社会の仕組みや政策と切り離しては存在しないことを考えさせられます。
でも「ドイツ人にとってサッカーって何?」・・・?いつか身体で実感できる日が来るでしょうか。
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