ドイツ通信48「ベルリンの壁崩壊20周年」


2010021320 2010021321 2010021322 2010021323 2010021324 2010021325

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベルリンの壁崩壊20周年を考える

 

 1989年11月9日ベルリンの壁が崩壊しました。当時私は11歳。記憶があるような無いような感じです。

 

 “壁の崩壊”。どうしてこんな“劇的”な言い方をするのか、そういえば不思議ですね。“壁の開放”とか“壁の機能停止”とか“無『壁』化”とか(気の利いた言葉が思いつかないけれど)、出来事を表す言葉はいくらでもあっただろうに、何故“崩壊”なのか。

 

この言葉から、私はこんな印象を受けます。

 

“壊れるはずの無いものが、壊れた”“アクシデントにより壊れた”と。非常に“事故的”な匂いを感じます。今まで幾度となく“ベルリンの壁崩壊”という言葉を見聞きし、実際に使って来ましたが、今やっと、どうして“崩壊”という表現をするのか理解しました。

 

 

 1989年11月9日。まさに“アクシデント”があったのです。東ドイツ政府のスポークスマンだったギュンター・シャボウスキーが、東ドイツ国民の出国の規制緩和を発表した際に、事もあろうか、「直ちに」と発言したので、さあ大変・・。ベルリン市民が壁に押し寄せ、結果として市民により壁は現実的に“破壊”されることになったというわけです。(知っている世代は知っている出来事なのでしょうが、私は初耳でした)。政府決定の公布と施行が同時に起こるなど、あり得ないのが常識ですが、それほど東ドイツは混乱していたのでしょう。その後の歴史は・・見ての通りなので省略します。

 

 

 そんな歴史を経て20年。ドイツ人、特にベルリン市民にとっては本当に印象深い日のようです。でも、11月9日というのは、ドイツ人にとって“何かと曰く付きの、運命の日”であるようです。夏が終わり、秋分を過ぎ、昼の時間が短くなり、且つ風雨が激しい嫌な季節なのに、クリスマスを迎えるまで(4週間前からクリスマスを祝う準備が着々と進みます)に「あと一仕事」的な感覚になるのでしょうか。歴史的に見て、この日は、心に刻んでおくべき日となっています。

 

 例えば、1918年11月9日。皇帝ウィルヘルム2世が失脚し、君主制にピリオド。後に発足するワイマール共和制への一歩を踏み出した日。

 

1923年11月9日。アドルフ・ヒットラーがミュンヘンにて政権奪回を目論みクーデターを起こした日。ワイマール共和国、ナチスが迎えた大きな局面。1938年11月9日。ユダヤ人迫害の始まり。ユダヤ人商店やシナゴーグが襲撃・破壊、放火され多くのユダヤ人が殺害された日。

 

 

そして1989年11月9日。毎年この日を迎える度に、ドイツ人は様々な事を感じるのかもしれません。日本人が1月17日を、世界が9月11日を記憶しているように・・。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>

Top