後継養成


後継養成

「ビワマスの半熟卵をごちそうしますから・・・。」高城さんに

紹介を受け、二回目に家を訪ねたとき、増井憲一さんは電話の真っ

最中だった。一ヶ月後に海外調査に旅立つ予定の氏は自然保護団体

の設立に向けて忙しくされていた。電話の相手は「今西錦司」さん

という京都大学出身の先生であった。当時出版社に勤務されていた

卯田正信さんの詳解によると、ダーウィンの進化論にももの申すほ

どの大家で釣りや登山にも造詣が深く今西さんを師と仰ぐ研究者や

学者は数知れないらしい。団体の特別顧問を体調がすぐれないと渋

る先生をビワマスの卵で今まさに釣りあげようとされているところ

に出くわしたわけである。(ビワマスは当時絶滅危惧種で、幻の魚

と呼ばれていた)その威光もあって、その後自然学や生態学で日本

を代表する歴々の先生方に次々と顧問になって頂き、「ドングリの

なる森を子供の未来に贈る会」という団体が設立された。設立総会

は、次の年(一九八五年)の二月に行われた。当の増井さんはすで

にアフリカに旅立たれていたが。

その後、滋賀県、或いは愛知川を取り囲む周辺地域などの自然の

成り立ちと状況をつぶさに調査研究し、その結果次の世代に何を残

すのか、どういう生活を目指すのか、具体的に見えて来た物がある

。当初、資金を集めて、壊されそうな土地を買い取って残していく

方針だったが、今残っている林や森は、共有財産だったり、ものす

ごく高価だったりして買うことがほぼ不可能なことが解り、始まっ

て早々に方向転換することになった。それよりも、自然を壊さない

生活スタイルを目指すことの方に重点が置かれた。また 自然とと

もに暮らすという生き方は当時、茗荷村が目指していた世界にもぴ

ったり当てはまる。

自然観察会や、ブナの森ハイキング、地域のイベントに参加して

啓蒙活動、もちろん、愛知川川辺林の保護を行政に働きかけること

も繰り返した。そして、一年後には八日市文芸会館を、十日間借り

きって、「未来人の君へ、ドングリからのメッセージ」と題し、広

く活動を知ってもらうためのイベントを行った。映画会、講演会、

写生大会、親子クラフト教室、ドングリの苗木配布、自然観察会、

展示スペースには、ドングリの木の利用法や写真展、イメージの絵

と書籍、ビデオなど、自然と暮らしについて、思いつく限りの発表

が行われた。協力も、茗荷村を始め、青年会議所、生協、県の自然

関係団体まで、滋賀県中の団体に参加いただいた。なんとか未来の

子供たちに、豊かで、素晴らしい自然を残したいという願いを多く

の人と具体的に共有できたと思う.

その後、熱病のように盛り上がった活動も、時とともにだんだん

衰退していくのだが、あのとき、皆が目指していたのは壮大な、後

継養成のプロジェクトだったように思う。愛知川を挟んだこの地域

の自然とそこに住む人みんなを巻き込んで、まるごと残していこう

と云う試みであったようだ。しかし残念ながら結果、流れは変わっ

たのかというとそうでもない。反省としては我々が、手本となるよ

うな生き方を出来なかったことにあるかもしれない。

後継養成を考えるとき、子供や後輩に、我々はつい欲目で価値観

 

を押しつけようとする。だが、結果そのことで相手は苦しむことに

なる。子供は教えられて育つのではなく、見たことで育つ。大人が

よかれと思うことを押しつければ子供は反発し、伝えたくないとこ

ろは教えなくても身につける。これは当時の増井先生の言葉。伝え

ることは実に難しい。ところで生物は、群れ社会の中で属する環境

を主体的に選んで(棲み分けて)変わるべき時には一機に全部が変

わるのではないか。というのが今西先生の進化論に対する試論であ

る。

これからの世界は、間違いなく環境破壊が続き、そのことが生死

を分けるような時代になっていくのは間違いないだろう。後継者た

ちが、その時選ぶのが、棲み分けて自然と共生する集団の方であっ

て欲しい。というのが、私のささやかな後継養成プログラムである090803金糞左俣・山葵掘り

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