茗荷村通信原稿「自然随順」


自然随順

このブログを読んで下さる方はご存じかと思うが、大分年数も経ったので、もう一度おさらいしておこうと思う。何年か前から、当社が建設に関わっている茗荷村という村があり、そこは、40年ほど前に始まった。村が出来た経過は大津の石山で障害者とともに暮らす施設を作っておられた「田村一二」さんという方が、障害者を隔離し管理するような既存の施設に疑問を感じて、もっと自由に障害者と健常者が一緒に楽しく暮らせるような村が出来たらいいなと、自分の理想を一冊の本にまとめられた。その本が多くの人の共感を生み、映画になったりして、実際にその理想郷を作ろうという運動が始まった。その候補地となったのが私が生まれ育った山村の大萩地区である。当時そこは集団移住をした跡地で廃村となっていたので、ちょうど思いが一致して昭和57年に開村した。

村を作るにあたって、発案者の田村一二さんが自由な村ではあるが守らなければならないルールとして四つの村是を掲げられた。それが、「賢愚和楽」「自然随順」「物心自立」

「後継養成」というモノである。そこの村の広報紙にいつも原稿を書かせてもらっているので、それをそのままブログに転載しているという次第である。物心自立と、後継養成はもう書いたので、今回は「自然随順」をテーマにしたいと思う。

「自然」と聞いてまず頭に浮かぶのは,そこに生えている植物のことである。もちろん、山とか岩とか,川や谷などの地形もあるが、その表皮を何が覆っているかによって印象がかなり違う。山の大萩は自然豊かである。と思われるがじゃあ、どの程度自然豊かかといえば、測る尺度がないのでなかなか一口にはいえない。だいたいにおいてそういうとこに育ったものは細部において無自覚である。利用できる材木や食べられる山菜のいくつかは知っていても、全体となると何も語れない。

どちらかというと、ありすぎてうっとうしい。いっそ、なくなったら晴れ晴れしいぐらいの気持ちしか持ち合わせていない。

小さい頃、昼間に山に入って遊んでいると、目に入るものは草木ばかりで、夜寝るときには暫く目をつむっても残像が消えなかった。しかも鼻の中は草いきれの匂いで充満していて、眠りについても一晩中ジャングルの中をさまよい歩いてるユメを見続けた。そんな日は自分が一匹の野生の獣にでもなったような気分で知性の欠片もないことに妙な興奮すら覚えた。そんな自然の中で育った僕が、高校を出る頃には、山など見向きもせず、都会の町並みに憧れを持ってしまったのは、テレビや雑誌の情報に感化されたからに違いない。

さて、それから再び自然欲(?)が湧き出したのは、二〇代も半ばにさしかかって頃である。折しも「ノオム」というタウン誌を作っていた僕は、都会に向かって発信する地元情報を探す中で、足下に咲く雑草の名前も種類も何も知らない自分に全く驚いたのである。 行ったこともない町の店の名前は知っていて、中に置いてある商品まで詳しく知っているにもかかわらず、自分の住んでいる地域のしかも毎日見ている草の名前も知らないなんて、これを不自然と呼ばずになんといおう。  それからは反省して、少しは勉強に励んだのだが、わかったのは、もうすでにとんでもないことをしでかしている自分たちであった。 旧大萩住民は移住で村を離れるとき、それまであった田畑、自然林をことごとく伐採し、杉檜を植林した。それがとてつもなく自然を壊すことになろうとは夢にも思わなかったのである。山々は木が育って暗く鬱蒼とし、下草も生えないので、水も保水しなければ、雨が降るたびに土が流れ出し、清流だった川は、いつもにごり、天気が続くと干上がってしまう。我々だけの責任ではないが、琵琶湖総合開発の拡大造林事業で山の奥の奥、頂上付近まで皆伐植林されているのを見たときには、さすがにがっかりした。二〇代半ばから釣りを趣味とした人生の中で、年々変わり続ける川の状況に、ますますその思いは強くなっていった。村を出た頃は、年を取ったら、いつかまた大萩に帰ってこようと思っていたが、今ではその気は全く失せている。愛着がなくなったのは、年々、人の気配が薄れつつあるからかもしれない。  昔の大萩のことを、山の中に開いた桃源郷のようにいう人がいる。それは、七百年に渡って人と自然が作り上げてきた里山という居心地のいい空間がそこにあったからだと思われる。天然の大自然がよいのではない。人と自然がお互いに生かされる環境が望ましい。

茗荷村村是の中に「自然随順」というのがある。これは村是の中で一番厳しい言葉だと思う。ゴチャゴチャ云わずにとにかく従えという強制でもあり、そんなに自然は素晴らしいのかという疑問もわくが、建築業界では結構大事なテーマでもある。スペインの有名な建築家ガウディさんはあれだけ創造的な仕事をしながら「世の中に新しい創造などない。自然の中から見つけ出してるだけ。」との名言を残している。確かに自然景観の中の醜悪な人工物の事例は全てを台無しにする。

さて、今、自然に従えといわれて、我々に何かできることがあるだろうか。

「大地を大切にしなさい。それは親から与えられたものではなく、子供から借りているのだ。」これはとある国の先住民の言葉。答えが見つからないなら、生まれた頃の自然に戻して子供に返さなければならない。

山仕事

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