誰もが住める家


母屋普請

母屋普請

昭和50年頃大工の見習いを始めた。そのころの家というのは間取りが田の字型で、そこに、玄関やトイレ風呂などが付属している造りであった。だから設計というのも今のように多様な形態ではなく、全体の大きさは予算で決まったから階段をどこに付けるかといったぐらいで、大工と施主が少し打ち合わせをして即着工という感じであった。

しかしこれは設計の努力を怠ってきた訳ではなく、そういう間取りとやり方が生活様式と文化に合っていたのである。田の字型の利点は4メートル四方の部屋が4個絡んで配置され、8メートル四方のコアとなって、耐震という面から見ても強固な木構造となっている。

何年か過ぎて建築士の資格を取得した頃、もう少し違う間取りにも挑戦してみたいと、いろいろな図面も書いて提案したことがある。しかしながら、施主と打ち合わせを繰り返す内に結局、元の普通の形に戻ってしまい、ひどくガッカリしたことがある。ところが、家族の平均値を探すという作業は或る意味、誰でもが住める家を造っていることにその後気がついた。

これは、西洋の靴に対する日本の下駄や草履、鞄に対する風呂敷などのように使う人のサイズに固定しない日本の古き良き文化でもある。ほとんど欧米化した今の日本にとってはかつてと言わねばならないのはとても残念である。が、家まで住む人のサイズや好みに合わしきってしまってよいのだろうか。デザインや機能を過剰に絞り込んでしまうと、作った人が住まなくなったら、立て替えざるを得なくなるだろう。先頃、政府は200年住宅を提唱しているが、それこそ「絵に描いた餅」となるだろう。

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