ドイツ通信24「バリヤフリー」


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バリアフリーへの取り組み

私自身が「バリアフリー」という言葉を認識したのはいつの事だったでしょうか。言葉自体は私が生まれる前から知られていたようですが、実際に私自身が“バリアフリー”を身近に感じるようになってまだ10年と経っていないように思います。2002年に北欧を旅行した際に、美術館や博物館に車椅子昇降機が取り付けられているのをみて「さすが“ゆりかごから墓場まで”の国だな」と感心した覚えがあるので(社会福祉の先進とバリアフリーの充実を同範疇で捉えるのは少しポイントがずれているかもしれません。それほど当時の私には“バリアフリー”が馴染み薄い言葉だったのです)。

 

 さて、ここブレーメンではどうでしょう。その取り組みは日本よりはるかに遅れているような気がします。一般住居でも公共施設でも、“段差”ばかり。車椅子や乳母車、高齢者に優しい造りになってはいません。

 

 定期的に発行されている不動産情報紙があるのですが、その「最近の話題」に、“高齢者や障害者に配慮したプラン”として、ドアの敷居を取っ払う、スロープやドア付近にスペースを設ける、などした住居が建てられるようになっており、バリアフリーの観点が住居建設において重要なポイントとなりつつある、と書かれていました。私の家のように、入り口付近に段差がある家が多いのですが、建設段階でこのような建て方をすると、後で段差を取り除くのは困難で、高い費用がかかるので、予め“バリアフリー”を念頭においた建設計画を、とのことです。

 

 “今さらの話題”的な感が否めません。世界的に見ても先進国の域に入るドイツ。少子高齢化問題とも直面しているはずなのに、この取り組みの遅さはなぜでしょう?

 

 もしかしたら、“それを必要としている層からの声がない”のかもしれません。とりあえず、よく歩く元気な高齢者を多く見かけます。少しの段差はモノともしない。例え歩行が少し困難だったり、車椅子利用であっても、“誰かが必ず助けてくれる”という安心感というか、それで当たり前的思考を持っているように感じられます。だから、段差を前に立ち往生することもないし、それに直面する不安から外出が億劫になることもない、と。健常者対象の建築を前に困難に直面する事が少ないことが、バリアフリーへの取り組みを遅らせている原因かも知れません。(街自体が古く、バリアフリー概念の登場以前の建築が未だに多く、改築が困難な事も理由の一つでしょうが)

 

 逆に、路面電車やバスの設備は充実しており、車椅子が昇降できるトラップを備えています。自動走行する車椅子の走行台数も日本より多いような気がします。高齢者や障害を持つ方が、自力で自由に街を往来しているのはよく目にします。けれども建物には、そういった設備がない訳ですから、彼らは絶えず周りの助けを借りているわけです。その助けが難なく得られることで、彼らは建築の構造への不便さをあまり感じていないのでしょう。

 

 こう考えると、“バリアフリー充実”は、人間関係の稀薄さに起因するとも思え、いったいどちらが“社会にとってプラス”なのか考えてしまいます。

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