僕が住宅について考え始めた訳


表紙アフリカ マリの家族

表紙アフリカ マリの家族

ブータンの家族

ブータンの家族

日本の家族

日本の家族

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この写真は1994年国際家族年の年に出版された地球家族と言う本の一ページである。世界30ヶ国のふつうの人々のくらしを撮ったものだ。各国の平均的な人の住んでる家をバックに家財道具をすべて、家の前に出し撮ったものだ。アフリカ、ヨーロッパ、アメリカ大陸、アジアの国々、どの国も、その国の文化があり、宗教があり、建物があり、家族がいる。住まいと道具と家族のたたずまいからいろいろなものが見えてくる。

テレビのニュースは、あらゆる事件を出来事を毎日伝えるので、我々は自宅にいながら今世界がどうなっているのかを知ることができる。この先、旅行なんて無意味だろう。と思っていた矢先にこの写真集に出会った。テレビを通じて、インターネットを通じてなにがわかるのだろう。

ニュース、それは、日常的でないものの寄せ集めだ。その後ろには、圧倒的な量のふつうの生活が潜んでいる。当たり前すぎてニュースにならない家族の日常は、静かに世界のそれぞれの土地と、風土にへばりついている。すばらしい。と思った。

しかし、最後のページをめくったとき、その思いは突然、断ち切られた。日本のページである。建て売りのような小さな家、その前に並べられたもの、モノ、物。プラスチック製品と安物の合板張りの家具、こたつに入ってテレビを見ながら物を食う夫婦と、部屋にこもる子供。全く土地と風土に張り付いてないし、宗教もない。

ああ恥ずかしい。これは、まさしく、我が家であり、隣家であり、平均的な日本の家庭であった。物にはあふれているがどれをとっても、後10年以内に捨てられる物だ。次の世代にまで引き継がれる物はなにもない。それは、家でさえも。つまり、我々がつくっているのは住宅ではなくて、ゴミを入れる箱なのか、いや、ゴミそのものなのか。

化石燃料を使い、世界の木を買い集め、加工貿易で世界の富を引き寄せ、技術大国といわれた日本、ため込んだ富と知恵で作り上げた物はゴミの山と、そのの中で暮らす人の世界なのか。それではあまりに悲しすぎる。それからである。目の前の仕事をこなすだけでなく、もう少し先を見越した家を模索しようと思ったのは

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