正しい家造りは文化である


ふるさとは

ふるさとは

日本文化論その1  山を歩いていると、ふと、人の気配がするときがある。そんなとき、周りを見回すと、きまって古い住居跡があったり、炭焼きの窯跡があったりする。また、ふと足を止めて休憩した場所に、何か懐かしい感じがして、ここに住んだら、あそこに家を建てて、あそこに畑を作り、などと自然と想像が湧いてくる場所がある。

多くの山村は最初そういうところに生まれ、人が集まり発展していったのだろう。偶然できたのではない、あるべき物があるべき所に生まれ、あるがままにそこに存在する。これこそパーフェクトワールドだ。

永源寺でご一緒させていただいた民映研(http://www31.ocn.ne.jp/~minneiken/)の姫田忠義先生は、その土地を訪れたとき、必ず高いところへ上って村全体を見るという。あるべき物があるべき所にあったりなかったり、観察できる。そこからいろいろな物が見えてくる。初めて訪れた場所でも大概のことは解ってしまうようである。その村の歴史や生業が、フラッシュバックのように見えてくるらしい。経験のたまものである。

そのパーフェクトワールドのことを、陶芸家河井寛次郎は、その著書「火の誓い」の中「部落の総体」という項の中でふれている。ただならない美しさであると褒め称えている。誰が設計したわけでもなく、相談したわけでもないのに個々の造形と配置が見事に調和して、村全体が一つの生まれてきた自然の造形物のようだと絶賛しているのである。

きっとそこに住んだ人々が、一斉にその土地にフラッシュバックを見たのであろう。日本の庶民の文化や造形にはそういう物が多い。それはいったい何なのかと言うことだが、私には一つの試案がある。日本の正史と言うものがほとんど文字と書き物によって伝えられ、受け継がれてきた。それに対して、庶民の歴史は、つい、近代まで文字に頼らぬ文化であったといえる。(この項続く)

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