中世城郭 丸山城、北坂城を訪ねて その2


みんなで記念写真

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遠景を望む

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午後の北坂城は、百済寺の北尾根にあったとされる。戦国時代に寺院から,次第に城塞化されるに当たって寺院配置自体が西向きから、東向きに変わった。それまで、湖東平野が一望出来たのが、城塞化によって鯰江城の正面になったのは興味深いところである。そこで手薄となった、西側の見張り所としてこの北坂城の高台が選ばれたのであろう。高台と言っても殆ど山の頂上で、標高は520mもあるから驚きだ。ここからは、木々が遮らなければ、遠くは川瀬から新海あたり、琵琶湖の帆船も見えたと思われる。正面には佐々木氏の居城観音寺山、箕作山も丸見えである。今度こそと、興奮しながら山に登った中井均先生、「ウーム、これは明らかに土塁の跡、」と満足気だ。中央には、狼煙台らしき窪みもある。信長群が南下して来るのをいち早く佐々木軍に狼煙を上げて知らせたか。それには絶好の地形である。光景が目に浮かぶ。と遠景を望む私の想像をよそに、中井大先生は地面に張り付くように測量を始めた。どこまでも現実的な人だ。

北坂城では今年、滋賀県で行われる狼煙駅伝に参加されるそうで、地元では大変な盛り上がりようだ。特に一緒に同行された花本さん、清水さんは長年の望みが叶ったと喜ばれていた。山の上まで日章旗を持ってあがって、高く木の上にくくりつけて、掲げられていた。一足遅れて、北坂町の大字の役員さんがこぞって駆けつけられ、中井先生の説明を受けられていた。地域の象徴として今後も、大事に守って行かれることを切望するものである。

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