六波羅蜜寺
六波羅蜜寺の片隅に、銭洗い弁天というのがあった。汚れた金をここで洗ってきれいにする。あくどい商法で儲けたあぶく銭も、ここで清めれば、ただの無垢な現金になるなんて、現代で言うところのマネーロンダリング。昔からあったのですね、こういう思想は。
六波羅蜜寺の入り口には六道の辻という交差点があり、そこには境界を示す地蔵尊があり、その対面で売られる幽霊子育て飴、何だか不気味な感じです。それもそのはず、平安時代はここは霊界と冥界の分かれ道、ここから先は地獄へと通じていたのでした。
仏像は何のために存在するのか。弘法大師が造った「東寺」にその答えがあります。文字の読めない人々に、仏教の経典や教えを目で見て、あるいは直接触れてわかるように具現化したモノであったのです。東寺の仏像が、天上界や、金剛界、胎蔵界と言った仏教の世界観を表したモノなら、このあたり、かつて鳥野辺と呼ばれ、墓と葬送の地であったことを思えば、六波羅蜜寺はまさしく地獄を具現化したのかもしれません。そう思ってみると、いかにも気味悪い一帯であります。
しかし、今風に見れば、仏像や銅像は、精巧なフィギュアでもあります。その後訪れた法性寺の地蔵尊はほんとにマニアックなフィギュアでした。地蔵さんなのに、極彩色の着物を着て、しかも唐獅子牡丹模様、着物の上から、胸腹足と言った体の線がくっきり、浮き上がっている。説明してくれた寺女の姉さんの話によると、江戸時代の粋らしいですが、私の目にはどう見ても異様でした。写真がないのが残念です。
今のアニメ文化をヨーロッパにマニュアルを作って説明したのは、村上隆さんですが、フィギュアの歴史も又、古くからある日本の文化だったのですね。その延長線上に今のユルキャラブームもあり、この日同行した、システムエンジニアの長谷川さん、そして、某国立大学準教授のO女史(こわくていえない)が、石田みつにゃんと、シマサコニャンのぬいぐるみを片手に、記念写真を撮りまくっていました。なんとも、遠くにあるようで結構近いところに原点はあったのかも、色々考えさせられるツアーでありました。
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