チョウナ再び
以前この欄で書いたチョウナのことであるが、このあたりではチョンノと呼んでいる。今は使うことも少ないので、いずれ廃れていく道具であるが、その形はおもしろくて、眺めていてもあきない。
大工の仕事始めをチョンノはじめという。家を建てるとき、実際の仕事はチョンノで木をはつるのがはじめとなるからであろう。かつては棟上げ式と同じく、御神酒で祝うのが習わしだった。つまりそれは、仕事を始める合図というか、契約書のような役割をしていたのだと思う。家の契約は、書面ではなく、行いのような儀式であったのである。
以前の書いたが、三つ目のチョウナは妻の叔父の形見である。先の戦争で、若くして亡くなった。この人のチョウナだけ、形が少し違う。他のものより、薄ぺらいのである。戦前のその時代のはやりなのか、それとも、少し用途が違うのか。
眺めている内に、胸騒ぎがした。何か訴えているような。もしかして、もう一本あるのではないか。これは、見習い用の簡単なチョウナではないのか。だから刃物も、それほど良くないのではないか。そう思い始めると、居ても立ってもいられなくなり、もう一度、妻の実家まで出かけた。屋根裏部屋に上がり、物置の中をくまなく探すと、ほこりをかぶった、道具箱を探し当てた。明るいところへ出すと、なかみを一つ一つ点検した。僕は妙な確信を持って、道具箱の一番底を探した。あった。
それは古い新聞紙に丁寧にくるまれていて、あけると、まっさらな、分厚い、チョウナの刀身が現れた。一度も研がれることなくしまわれた、刃物。道具箱の中で60年以上眠り続けたそれは、さびることもなく、待機していた。
戦争という悲劇が若者の運命を大きく狂わせ、しかも命まで奪ってしまった。残された道具には、魂が宿っているのかもしれない。60年経って、僕を呼び寄せた。見つけてくれと言わんばかりに。
柄を付けて、刃物を研いだ。その刃物は古さを微塵も感じさせない。新たな輝きを持って、復活した。僕の4本目のチョウナとして。使いたい。思う存分、チョウナをふるって。だが、これを使う仕事は、今はない。しかし、確信している。やがてこれを使う仕事が舞い込んでくるのを。それまで、壁に掛けて飾っておこう。
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