故きを温ねて新しきを知るということ 茗荷村通信2


木挽き鋸故きを温ねて新しきを知るということ

  古い道具に接する機会があった。先代は大工をされていたのだが、子供が娘ばかりであったため後を継ぐ人もなく処分するという。近年、大工道具も機械化され手道具をあまり使わなくなった。その所為もあり後継者に恵まれても道具自体はあまり受け継がれないのだが、人の手を経て使い込まれたモノには何かしら引きつけられる。道具箱の中に丁寧にしまわれた鑿、鉋、玄翁、のこぎりに至るまで一つ一つ取り出して、錆を落として磨きを掛ける。すると、鍛えられた刃物は間違いなく輝きを取り戻し蘇る。そしてそれが使われていた時代と人、作られた建物まで想像を巡らしてみる。ここ三十年ほどで日本の建築もすっかり変わったため、ほとんど実用としては過去の物になっているがそれだけに時々の歴史を物語っているといえるだろう。旧時代、ここ大萩で誇ってきた板加工の主要技術、それを支えてきた木挽き鋸なども、金属ゴミと一緒に無造作に捨てられているのを見ると心が痛んで、つい拾ってきてしまったことがある。 

 そんな中、今まで整理した道具の中で一番印象に残っているのは妻の実家にあった道具箱である。その持ち主の義叔父は先の戦争で亡くなっていたのだが、箱の底に一つ一つの道具が紙に包まれ丁寧に封印されていた。大工の見習いから年があけて(一人前になって独り立ちすること)実家に帰ってきたが戦争が激しくなって仕事もあまりなく、縁台や小物を作って過ごしていたところに召集令状がきた。当時のはがきを見ると海軍で南方に配属されたらしい。自分のことは何も書かず両親や家族の心配ばかりしている文章が痛々しい。帰ってきたときには英霊となり村一番の石碑が建っている。丁寧に封印されていたのはもう帰って来れないという覚悟なのか、帰ってきた時のためなのかはわからない。すると、一番底からまっさらなチョウナが出てきた。油紙に包まれていて錆びてもいない。もう一度仕事がしたいという万感の思いが一気に伝わってきた。自由に仕事のできる今の我々は本当に幸せである。丁寧に磨いで柄を据えた。たぶん、使うことはないかもしれないが私の宝物である。見るたびに身が引き締まる思いである

  道具でさえ色々学ぶことがあるのだから、家そのものとなったらなおさらである。古い家を解体するたびにその家に纏わる生活と文化を体験できる。このおもしろさを最初に教えられたのは茗荷村開村の時である。新しい建物ではなくとにかく古い家の移築にこだわった最初の十年は今となってはかけがえのない物だ。どうして古い家を移築するのか当初、高城さんに聞いたことがある。「古い家には人の気持ちいっぱいが詰まっている。それを、集めて、もう一度活かしたい。」と、おっしゃった。三十代半ばにしてこの達観、敬服するばかりである。

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